【ボランティア白書】災害対応に関しては、地域のつながり・助け合いという「原点回帰」が必要

宮﨑 猛志さん

特定非営利活動法人国際ボランティア学生協会理事

IVUSA危機対応研究所所長

■大都市圏に近かった神戸

 1995年に起きた阪神淡路大震災で多くの災害ボランティアが活躍したことにより、ボランティアが社会的に注目され、1995年は「ボランティア元年」とも言われました。

 ただ、なぜここまで多くのボランティアが現地に行けたのかというと、地理的な理由と人口動態的な理由の二つがあります。まず神戸は京都や大阪といった大都市圏に近く、京都からでも片道1時間程度で行けます。日帰りできてしまうので、参加しやすいわけです。

 あと、阪神淡路大震災時の災害ボランティアの主力は若者だったと言われていますが、この時第二次ベビーブーム世代(団塊ジュニア世代)が大学生世代だったということも忘れてはいけません。つまり人口のボリュームゾーンが動きやすい大学生で、かつ被災地が近かったという「たまたま」が重なったということです。もちろん、そこで活躍した人たちの中から、NPOや市民活動を下支えするような人材が多く輩出されたのは事実です。

 また、災害ボランティアにおいてもう一つエポックメイキング(転換点)になったのは2004年です。この年は、台風が10個も上陸し、各地で水害が起きました。それで社会福祉協議会の下にあるボランティアセンターに蓄積されてきたノウハウが全国に拡散するとともに、災害ボランティアセンターは社会福祉協議会が運営するという流れが決定づけられました。その上で10月には中越地震も起きました。

 さらに言えばこの年を経験した多くの人材が、その後の災害ボランティアのコーディネーターとして活躍したり、マニュアルをもとにした研修会を実施したりするようになったのです。

 

■災害ボランティアは足りていないのか?

 2011年に東日本大震災の後は、多くの企業や団体がボランティアは被災地に派遣するようになり、いわゆる「ボランティアバス」の仕組みも広がりました。そうやって災害ボランティアの間口は広がっていく一方、より専門性を活かした支援の取り組みも進んできました。具体的に言うと、復旧作業には、大工、電気工系のスキルや、高所作業スキル、重機や動力器材を扱えるなどといったプロボノボランティア、避難生活支援となると医療・福祉、法律といった士業ボランティアなどです。

 これらの「ボランティア」はスキルやノウハウ、知見を蓄積してきたので、今後はいかに仕事して成立するようにしていくかがポイントになるでしょう。また、逆に何かのスキルがないと災害ボランティアに参加してはいけないのではという一種のハードルになっていることも否定できません。「目の前の困っている人のために何かしたい」というシンプルな動機だけでかかわることが難しくなっているのも事実です。

 そして、最近では「災害ボランティアの不足」が問題化しています。ただ、災害ボランティアの数が減っているというよりも、災害が広域化・多発化・激甚化することで、対応しなければいけない災害が急増した結果、足りていないというのが現状です。

 それは、「被災していない外部の人が、災害現場に入る」という今の災害ボランティアのあり方そのものの限界と言えるかもしれません。南海トラフ巨大地震が起きれば、その被災地域はこれまでの災害と比べものにならないわけで、その時は「外部のボランティア」はほとんど期待できないでしょう。

 

■一周回ってもとに戻った?

 となると、被災した地域の中で「災害ボランティア」を確保することが必要になってきます。それは今の「災害ボランティア」という概念というよりも、消防団や地域の相互扶助・助け合いの延長線上にあるものになると思います。

 もちろん高齢化・過疎化によってその担い手が少なくなっている現状はありますが、この冬の豪雪においても、コロナ禍ではありますが、「贔屓にしていた温泉宿」や「よく遊びに行っていた地域」が大変ということで、助けに行った人たちがいたそうです。彼らは「災害ボランティア」として他の地域に行くことはないでしょうが、このように普段から顔の見える関係をどれだけ多くの人と作っていくかが重要になってくるでしょうね。

 最後、災害救援における「自助・共助・公助」の役割についてですが、発災直後の「命をいかに守るか」というフェーズにおいては、公助はほとんど当てにできません。つまり「直接死」を防ぐためには、まず自助であり近助(近所の助け合い)です。しかし、助かった命をつないでいくには公助の役割が非常に大きいです。具体的には、適切な避難所運営であったり、支援体制を作ったりすることで「関連死」を防ぐことです。